不倫の季節(jié)
「あたしなんか四年もやったからねえ。つらいよお、ほんっと」
わたしの背後の席から聞こえてきたのは、少し聲をひそめた會(huì)話だった。ちょっと気分を変えて原稿を書(shū)こうと訪れたファミリーレストランでコーヒーを注文し、煙草に火をつけ、原稿用紙を広げようとしたわたしはふと手を止めた。
何のことかなと耳を澄ませば、不倫しようかどうしようか迷っている女の子の相談を不倫歴四年の女の子が聞いてあげている、という図式らしい。ふうん、そうか、と聞き流そうとしたわたしは次の言葉にびっくりして背筋を伸ばしてしまった。
「不倫の場(chǎng)合、こっちは何がなんでも好き、という気持ちがなければはじまらない。でも向こうはまんざらでもない程度で始まる。このギャップを絶対に忘れてはいけない」
それはわたしが、不倫に関する取材やエッセイで必ず觸れている鉄則その一、であった。でも彼女がわたしの記事を読んで共感してくれたととるのは思い上がりというものだ。原稿そっちのけで會(huì)話に聞き入るうち、彼女たちが二十七歳で、ふたりとも歯科衛(wèi)生士であるとわかった。
「あたしの四年間は、その戀しかなかった」
先輩の女の子がきっぱりと言った。彼女は相手を頭ごなしに反対するわけでも、無(wú)責(zé)任に応援するわけでもない。妻子持ちの男とつきあうことのよい點(diǎn)と悪い點(diǎn)を要領(lǐng)よく説明したあと、やっぱりトータルすると悲しみと苦しみのほうが圧倒的大半を占めるのだと結(jié)論した。そして最後にこう締めくくった。
「だからあたし、今なら農(nóng)家のヨメにだってなれる」
それは非常に説得力のある、どっしりとした言葉だった。聲の主をこの目で見(jiàn)たい衝動(dòng)に耐え切れずそっと振り向けば、細(xì)いハッカ煙草がよく似合う真っ茶色のレイヤードヘアがあった。ヤンキー少女上がりそのまんまの彼女の顔に、はっきりと大人の影がわたしには見(jiàn)えた。
部外者ながらわたしは思わずうん、うん、と頷き、名も知らぬ彼女を抱き締めてやりたいほど愛(ài)しく感じた。実際、彼女が農(nóng)家に嫁いできちんとやっていけるかどうかなんて問(wèn)題ではないのだ。それだけ全身全霊をかけた四年間の戀に自らピリオドを打った、そのつらさにくらべればたとえ一生農(nóng)家で過(guò)ごすことになっても耐えられる。彼女は素直に、そう思ったのだ。
彼女がこの偉業(yè)を成し遂げるには想像もつかない葛藤と涙があったに違いない。わたしは彼女と同じ年月をかけてちょうど同じ齢に決別した同じ種類の戀に思いを馳せ、胸が熱くなった。そして今の彼女に怖いものなど何もないだろうと思った。かつて、わたしもそうだったように。
不倫の戀は間違いなく女を成長(zhǎng)させる。しかしそれはその戀がこの上なく純粋であったときのみだ。決して手に入らぬ純愛(ài)は、無(wú)邪気なヤンキー少女さえ大人にしてしまうのだ。
この戀の威力の前に、わたしの連載が一行も書(shū)けていないことなど些細(xì)なことだ。春の空気を深く吸い込み、わたしは再び原稿用紙に向かった。