相手の行為に対してお禮を言うような場(chǎng)合、「くださる」と「いただく」の両方の使い方をすることがあります。
對(duì)于對(duì)方的行為表示感謝的場(chǎng)合,有“くださる”和“いただく”兩種表達(dá)方式。
たとえば、「○○をお送りくださり?お送りいただき ありがとうございました」というような表現(xiàn)です。このうちどちらか一方が正しくて、もう一方は誤り なのではないかと迷うこともあるようですが、実際はどうなのでしょうか? いくつかの例をあげて考えてみましょう。
比如說,“○○をお送りくださり?お送りいただき ありがとうございました|謝謝送給我○○”這樣的表達(dá)。其中哪個(gè)是對(duì)哪個(gè)是錯(cuò)讓人比較迷茫,實(shí)際上是如何的呢?舉幾個(gè)例子大家一起思考一下。
まずは、基本となる「くださる」と「いただく」の言葉の意味を見直してみましょう。「くださる」「いただく」は、それぞれ「くれる」「もらう」の敬語です。もっと詳しく述べると、「くださる」は「くれる」の尊敬語!袱い郡坤工稀袱猡椁Α工沃t譲語になるわけです。
首先,讓我們來看看基本的“くださる”和“いただく”詞匯的意思。“くださる”“いただく”各自是“くれる”“もらう”的敬語。更加詳細(xì)地說,“くださる”是“くれる”的尊敬語,“いただく”是“もらう”的謙遜語。
相手が「くださる(くれる)」ということは、自分が「いただく(もらう)」ということのため、內(nèi)容としては同じことを表しています。では、どう違うのか、ひとつは、物事を見たり考えたりする位置?観點(diǎn)の違いのようなものがあります。
對(duì)方所做的 “くださる(くれる)”對(duì)于自己來說是“いただく(もらう)”,內(nèi)容來看是表述同一意思。那么,有什么區(qū)別?其中之一是,看事情思考事情的立場(chǎng)、觀點(diǎn)不同。
■「くださる(くれる)」
物のやりとり を考えた場(chǎng)合、「くれる」は渡す側(cè)から見ているので、観點(diǎn)は渡す側(cè)になります。
互換物品的場(chǎng)合,“くれる”是贈(zèng)予方的視角,所以觀點(diǎn)在于給的一方。
「(あなたが)送ってくれる」
“(你)送給我”
■「いただく(もらう)」
「もらう」は受け取る 側(cè)から見ている。観點(diǎn)は受け取る側(cè)になります。
“もらう”是接受方的視角,觀點(diǎn)在于收的一方。
「(わたしが)送ってもらう」
“(我)收到東西”
渡す側(cè)の行為から見た「(あなたが)くれる?くださる(尊敬語)」が、尊敬語なのだから正しくて、受け取る側(cè)から見た「(わたしが)もらう?いただく(謙譲語)」は間違い なのではないかと思ってしまう場(chǎng)合があるようですが、それは違います。
從贈(zèng)予方的行為來看“(你)給我(尊敬語)”是尊敬的所以正確,而從接受方來看“我(得到)(謙遜語)”是錯(cuò)誤的,如果這么想的話那就錯(cuò)了。
「(わたしが)もらう(謙譲語)」も、「わたし」を低めることによって、相手を高めている働きをもつと考えられますので、尊敬語で表すか、謙譲語で表すかの違いであって、間違いという類のものではありません。
“(我)得到(謙遜語)”也是有降低“我”抬高對(duì)方的作用,所以靠是尊敬語來表達(dá)還是謙遜語來表達(dá)來區(qū)分這兩者的不同是不能將任一種歸類于錯(cuò)誤。
ただし、個(gè)人の受け取り方の違いや、使う場(chǎng)面によっては不自然なこともあります。では、再度場(chǎng)面ごとの例で「くれる?くださる」と「もらう?いただく」を考えてみましょう。
不過,根據(jù)個(gè)人接受方式的不同以及使用的場(chǎng)合不同可能會(huì)導(dǎo)致使用得不自然。那么再次根據(jù)情況不同進(jìn)行舉例來考慮“くれる?くださる”和“もらう?いただく”。
■例1:自分が注文した本が屆いたことを他人に話す場(chǎng)合|自己下單的書送到了,把這件事和別人說的場(chǎng)合
「ネットで注文した本を、送ってくれた」
“網(wǎng)絡(luò)上下單的書,為我送來了”
これは何だか不自然さが殘ります。「くださった」にすると余計(jì)にその感が強(qiáng)まります。別にお店を高めてはいけないということではありませんが、聞く側(cè)は、お店とは関係がありませんし、自分が頼んだのだからという気がしてしまうものです。ここは「送ってもらった」が自然でしょう。
這里總感覺有些不自然。如果用“くださった”更加的不自然。其實(shí)沒必要一定得提高店家(的地位),而對(duì)于傾聽的一方來說,他覺得這和店家也沒什么關(guān)系,是自己拜托才這么做的。這里用“送ってもらった”更自然。
このように、「くれた」はどちらかというと、自分が相手に頼んだのではなく、相手の意思で何かをしてくれるような場(chǎng)合に使われることが多いと言えます。ですから、この例のように、自分が相手に頼んだような場(chǎng)合には、「もらう」を用いるほうが自然なものです。
像這樣,“くれた”到底是哪一種來說,不是自己拜托對(duì)方,而是對(duì)方主動(dòng)的自發(fā)的為我做的場(chǎng)合下使用的會(huì)比較多。因此,像這個(gè)例子一樣,自己拜托對(duì)方的場(chǎng)合用“もらう”會(huì)比較自然。
■例2:自分が相手に依頼した場(chǎng)合 その1|自己拜托對(duì)方的場(chǎng)合 其一
「本をお渡しくださいましてありがとうございます」
“謝謝把書給我”
渡してくれた相手に敬意 を表したいという意味では間違いではありません。しかし、こちらも1の例と似ていますが、自分が無理に相手に頼んだような場(chǎng)合は、「(勝手を申しましたのに)お渡しいただきまして、ありがとうございました。お陰さまで助かりました」などの表現(xiàn)がよりしっくりくると感じます。
為了向把書給我的對(duì)方表達(dá)敬意這一層意思上(這么用)是沒有錯(cuò)的。但是,這里和1的例子很像,自己硬要拜托給對(duì)方的場(chǎng)合是“(雖然我強(qiáng)行拜托你但)能拿給我真的很感謝。托你的福幫了大忙”等等這樣的表現(xiàn)更符合。
■例3:自分が相手に依頼した場(chǎng)合 その2 |自己拜托對(duì)方的場(chǎng)合 其2
「あらかじめ 、調(diào)べてくれる?くださる項(xiàng)目はこちらです」
“事先幫我調(diào)查的項(xiàng)目是這幾項(xiàng)”
この場(chǎng)合は明らかにおかしいですね!袱猡椁?いただく」を使って、「あらかじめ、調(diào)べてもらう?いただく項(xiàng)目はこちらです」ということはできても、文例のように「くれる?くださる」を用いて表現(xiàn)することはできず、誤用 であることがわかります。
這個(gè)場(chǎng)合下,(這種表達(dá))明顯是奇怪的。即使使用“もらう?いただく”變成“あらかじめ、調(diào)べてもらう?いただく項(xiàng)目はこちらです”也無法表達(dá)像例句中使用“くれる?くださる”的意思,顯然是誤用。
■例4:相手の行為にお禮を述べる場(chǎng)合|對(duì)對(duì)方的行為表示感謝的場(chǎng)合
「ご利用いただきましてありがとうございます」
“謝謝使用”
これは「いただく」「くださる」どちらも用いることができるものです。頼んだわけでもなくお客様の意思で、店に來た?利用したという點(diǎn)では、「くださいまして」が、お客様への敬意をより強(qiáng)めている感があり適切と感じます。
這里用“いただく”“ くださる”都可以。即使不是拜托,也要從客戶的想法出發(fā),到店里·選擇這家店這一點(diǎn)上,“くださいまして”更加強(qiáng)調(diào)了對(duì)客戶的敬意,是合適的。
しかし、文例の「いただきまして」も、自分側(cè)を低め間接 的に相手に敬意を表しているわけです。また、相手に恐縮 な気持ちや厚意 を受けた感謝の気持ちなどを述べていると考えられますから、その意味ではどちらも使うことができると言えます。
但是,例句中“いただきまして”是降低自己這一側(cè)對(duì)對(duì)方表達(dá)敬意。還有這是對(duì)對(duì)方有著不好意思的心情以及承蒙厚愛的這種感謝,所以在這層含義上用哪一個(gè)都可以。
「このたびは、お菓子をお送りいただきましてありがとうございます」なども、似ています。
“這次收到了糕點(diǎn)實(shí)在是感謝”等等也是相似的。
この場(chǎng)合も、自分がお菓子を送ってくれと頼んだのではなく、相手の意志で送られてきたのですから、本來は「お送りくださいまして」のみが適切なように思われますが、こちらも相手の厚意によって行われたと解釈して、相手からの厚意に恐縮する、感謝するような気持ちで「いただく」という謙譲表現(xiàn)が使われるのではないかと感じます。
在這種場(chǎng)合,自己并沒有拜托對(duì)方要送給我糕點(diǎn),而是對(duì)方按自己的意愿送來的,所以本來只是“お送りくださいまして”適合,但在這里是因?yàn)閷?duì)方的厚愛而做出的行為,由此解釋,對(duì)對(duì)方的好意過意不去,而又很感謝的心情,通過“いただく”謙遜的表達(dá)方式來體現(xiàn)。
このように、少々複雑でどちらもほぼ同じように使われる「くださる」と「いただく」ですが、使い分けの注意點(diǎn)を強(qiáng)いてあげるならば、文例1,2,3のように、自分から頼んで相手に何かをしてもらった場(chǎng)合や、無理を言って相手にお願(yuàn)いした場(chǎng)合などは、「くださる(くれる)」は不自然に響くという點(diǎn)です。
像這樣,稍微有些復(fù)雜但無論哪個(gè)都差不多的用法的“くださる”和“いただく”,一定要舉出區(qū)分兩者的注意點(diǎn)的話,就像例子1、2、3一樣,自己去拜托的讓對(duì)方做些什么的場(chǎng)合以及硬要麻煩對(duì)方的場(chǎng)合等,“くださる(くれる)”是不自然的。
このような點(diǎn)に注意しつつ、使う場(chǎng)面によって、より自然にしっくりくる語を選り分けるということが一番大切でしょう。
像這樣一邊注意該注意的地方,一邊根據(jù)使用場(chǎng)景,然后區(qū)分選擇自然的表達(dá)是最重要的。